毛皮を着たヴィーナス (河出文庫) SMのMは、本作の著者であるマゾッホ(レオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ Leopold Ritter von Sacher Masoch)が由来であることはあまりにも有名だが、彼の傑作として名高い『毛皮を着たヴィーナス』(Venus im Pelz)を読んだことのある日本人は、意外に少ない。
本作はマゾッホが1871年に書いた中編小説で、彼の“マゾヒズム”性がもっともよく表れている傑作として、今でも世界中で読み継がれている。
この作品は、主人公のゼヴェリーン(ゼヴェリーン・フォン・クジエムスキー)が、毛皮を着たヴィーナスを描いた絵画が壁に掛かっていることに気づいた『私』に、過去の体験を書き起こした原稿を読ませるという体裁で、特殊な恋愛物語が進んでゆく。
青年ゼヴェリーンは、東欧カルパチアの保養地で、若き未亡人ワンダ(ワンダ・フォン・ドゥナーエフ)と出会って恋に落ちるが、自らの被虐性を素直に告白し、毛皮を着て自分を鞭打つよう懇願する。
ワンダは愛する人のため、毛皮を着たヴィーナス(毛皮は絶対的支配者、ヴィーナスは浮気性女の象徴)となり、ゼヴェリーンを下僕扱いし、鞭で体を痛めつける。
率直な読後感を述べると、マルキ・ド・サドの諸作品と比較して、SM的なインパクトが弱いことは否めない。
ゼヴェリーンがワンダに鞭で打たれる描写は、あっさりしすぎていて、M文学モノとして読むとガッカリするかもしれない。
しかし、精神的マゾヒズムを表現した純愛文学の作品としてなら、じゅうぶんな読み応えがある。
ゼヴェリーンは完全なMではないし、ワンダはドSでもSでもない。
ゼヴェリーンは自身を“超官能主義者”と定義し、その特殊な欲望を満たしてくれる存在としてワンダを認識し、ワンダは彼の期待に応えるために支配者の役を演じてみせる。
作中で一貫して語られるのは、ワンダがいろいろな意味で第三者に奪われることに対するゼヴェリーンの心の葛藤であるが、そこには今日の“寝取られ族”に共通する心理があるように思う。
いちばん興味を惹かれたのは、著者のマゾッホが本作さながらの人生を送ったという事実。
詳細は本書の訳者あとがきや『ザッヘル=マゾッホの世界 』(いずれも種村季弘著)を読めばわかるが、情婦マニー・ピストールと奴隷契約を交わしたり、妻のアウローラ・リューメリンにワンダと名乗らせて寝取られを実行し、フランス男に略奪されたりしている。
つまり、本作はマゾッホが自身の願望を素直にそのまま描いた小説としても読むことができるのだ。
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