悪徳の栄え (河出文庫) ジュリエット物語又は悪徳の栄え サディズムという言葉の由来となったことで有名なマルキ・ド・サド(Marquis de Sade)が書いた長編性愛小説の傑作。
『ジュスティーヌまたは美徳の不幸』の改訂版にあたる『新ジュスティーヌ』の続編として1797年にパリのマッセ書店から6巻本として出版され、『新ジュスティーヌ』4巻と合わせて全10巻の書籍として販売された。
当局の摘発を恐れた出版者は、奥付を改竄して、版元はオランダ、著者は死亡としたが、1801年、マッセ書店が警察の捜索を受け、サドも逮捕されてしまう。
ふつうならここで絶版となるのだが、本書は好事家たちの手によって地下出版物として流通し、外国語にも(勝手に)翻訳された。
本書の日本語訳本では、マルキ・ド・サドの研究家としても知られる澁澤龍彦の訳本『悪徳の栄え』が有名だが、この本は抄訳で三分の一ほどしか訳出されていない。
また、翻訳年代が古いため、わかりづらい隠語が少なくない。たとえば“千鳥”。張り型を使ったレズプレイのことを指すのだが、性的意味を知っている人は少ないと思う。
なお、全訳には佐藤晴夫の『ジュリエット物語又は悪徳の栄え』がある。
また、澁澤龍彦の訳本は日本で物議を醸し、出版者と翻訳者が訴えられる事態にまでなった。これを『悪徳の栄え事件』という。
1959年、本書が猥褻文書に当たるとし、現代思潮社社長の石井恭二と翻訳者の澁澤龍彦が刑法175条違反で起訴された。
第一審は無罪とされたが、第二審では逆転敗訴。世間が注目した最高裁判決は上告棄却で、二人の罰金刑が確定した。
しかし、判決に対し5人の反対意見がつくなど、本書を猥褻文書とすることを良しとしない裁判官が少なくなかった。
ストーリーは以下のとおり。
ジュリエット(Juliette)は、大銀行家の娘としてパリの修道院で3歳年下の妹ジュスティーヌ(Justine)とともに生活していた。
もともと純真無垢な少女だったが、13歳のとき、院内で不良修道女たちに出会い、徐々に悪徳の道へ引きずり込まれる。
15歳のとき、彼女に人生の転機が訪れる。裕福だった実家が破産し、銀行家の父は海外逃亡し、母は悲嘆に暮れて死ぬ。
修道院を出なければならなくなったジュリエットは、ジュスティーヌとともに大金持ちへの道を歩もうとするが、妹はこれを拒否して美徳に生きることを決心する。
しかし、ジュリエットは自分の信念を曲げず、権力者におもねったり知人を裏切ったりして、悪の限りを尽くして金銭と名誉を求め、最後には夢をつかむことに成功する。
本書ではタイトルどおり、“悪徳の栄え”が主人公ジュリエットの成長とともに語られる。
サディスティックな悪漢たちが次々と現れ、乱交や輪姦といった反道徳的なセックスを披露して悪の道に引き込もうとするのだが、ジュリエットは富と権力を手に入れるため、それらを積極的に享受し実践する。
その悪行の数々は現代社会でも許されるものではないが、今でも世界のどこかできっと行われているはずなのも事実。
ジュリエットの悪女としての行いは、徹底しているがゆえに小気味好いくらいだ。痛快だと感じる読者もいるのではないだろうか。
昔の中国で性善説と性悪説の論争があったが、本書を読むとそれがいかに無意味なものであったかがよく理解できる。
著者に言わせれば、美徳は常に悪徳に負けるのだ。多くのエピソードのなかで、美徳と悪徳に関する哲学的考察がなされ、キリスト教的美徳がいかに価値のないものであるかが強調されている。それを象徴しているのが、美徳の実践者でありジュリエットの実妹でもあるジュスティーヌの悲惨な死因だ。
悲しいことだが、現実社会では『正直者は馬鹿を見る』というのが真理なのだ。
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