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交換も五度目なら(36)


ジギル 様:

 ご無沙汰しております。私的交流は相変わらずですか?

 当方はだいぶ落ち着きました。
 都心のマンションから郊外の庭付き一軒家に引っ越し、最近はガーデニングに凝っています。草花好きの妻も喜んでいます。
 通勤は大変ですが、妻の笑顔にはかえられません。

 今回PCの前に座ったのは、大変お世話になったジギルさんだけには事実経緯をきちんと報告しなければならないと考えたからです。
 他人にとってはどうでもいい詰まらない話ですが、もし興味があったらお読みください。

 決定的な契機は10度目の“交換会”でした。
 このときの会場は夜景が美しいことで有名なホテルのスイートルームでした。
 機が熟したということで、初めてスワッピングを試みました。
 8度目が日帰りでの温泉旅行、9度目が2泊3日の海外旅行でしたから、次はもう互いに見せ合うしかないという感じでした。
 まず、私と冴子、日野氏と幸恵という組み合わせで体を合わせ、その後、何度か相手を替えてセックスをしました。
 このとき、私ははっきり理解しました。
 私が心から愛しているのは、戸籍上の妻の冴子ではなく、他人妻の幸恵なのだと。

 この日、日野氏と冴子が肌を合わせているところを見ても、とくに嫉妬心が湧いてくることはありませんでした。
 動画でさんざん観ているということもあったのでしょうが、それよりも他人様の情事を間近で覗き見しているという刺激のほうがずっと強かったのです。
 日野氏の巨棒が冴子の菊口にめり込んだときは、大興奮のあまり夢精しそうになりました。
 しかし、幸恵と日野氏がいっしょのとき、二人が唇と唇を重ねただけで、猛烈な不快感が全身を覆いました。
 愛妻が自分への当てつけに不倫している。そんな感覚に囚われました。
 体が震えるほどの、気絶してしまうくらいの嫉妬心を覚えたのは、このときが初めてです。
 日野氏と冴子の交流動画を観たときも怒髪するくらい嫉妬しましたが、このときとは比較になりません。

 すでにこうなる予感はありました。
 “交換”を重ねるごとに、我々夫婦の間には微妙な空気が流れるようになり、違和感と距離感が増していきました。それは日野夫妻も同様です。
 8度目で初めて外に出て夫婦として振る舞いました。
 箱根の旅館(日野氏と冴子は伊香保)で夫婦として迎えられ、家族用の露天風呂にいっしょに浸かりました。
 手を繋いで美術館を巡りました。横浜で夜景を楽しみました。
 この日、私には不倫をしているという後ろめたさは微塵もありませんでした。幸恵が他人妻であることのほうに違和感を覚えました。

 そして、私の気持ちは、9度目の“交換”で決定的なものになりました。
 いくら近場とはいえ、海外旅行は大変です。トラブルも発生します。
 私は出張でよく香港に行きます。それで渡航先として香港(日野夫妻はソウル)を選んだのですが、初めての国外旅行だった幸恵は水が合わなかったようで、現地で高熱を出し寝込んでしまいました。
 私はすべての予定をキャンセルし、現地滞在中ずっとホテルの部屋に籠もって看病をしました。
 よくあるパターンですが、このときに二人の愛が深まりました。この人は自分にとって必要不可欠の存在なんだと、お互いに確認することができたのです。

 10度目の“交換”時、スワッピング終了後、4人で真剣に話し合いました。
 そして、《しばらく相手を替えて日常生活を送ってみる》という結論に達しました。
 女性が移動するのは大変なので、夫のほうが相手の家へ出張することにしました。
 1ヵ月ほど交換生活を送ったあと、正式に交換する運びとなりました。
 私と冴子は離婚しました。日野氏と幸恵も離婚しました。そして、半年後、私と幸恵、日野氏と冴子は、入籍しました。
 日野夫妻はいまでも私が冴子に譲渡したあのマンションで生活しています。

 “交換”はあいかわらず続いています。
 どちらかの妻が妊娠するまで継続する約束になっています。
 妻たちは避妊薬を飲んでいないので、膣に入れるときは必ずゴム着用です。
 でも、私はほとんどコンドームを着けません。もっぱら元妻のアヌスで射精しているからです。
 5度目の“交換”後、罰の意味も込めて冴子のアヌスを犯そうと思いましたが、けっきょく挿入することはありませんでした。
 すでに日野氏によって征服され穢されてしまった汚穴を、初体験の相手にしたくないと思ったのです。

 というわけで、6度目の“交換”時、幸恵とアナルセックスしました。
 お互い初めてで、童貞と処女のようでした。実際、結合するのは困難でした。
 AVのように簡単には挿入できませんでした。悪戦苦闘の末、挿入開始から3時間後、陰茎はやっと直腸の中に収まってくれました。
 8度目のとき、幸恵もアヌスで逝くことができました。
 幸恵にも後ろの素質がありました。ただ拡張性が低かっただけだったのです。
 まったく自慢できる話ではありませんが、私が粗チンの所持者であったことが幸いしました。
 災い転じて福となす、といったところでしょうか。










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豪円寺 琢磨
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